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2023年8月 2日 (水)

「楷(かいじゅ)の会」会報第15号

会報 第 15号
令和5年8月2日


農地改革の話(1)~農地改革の目的~


 明治維新以来、工業は非常な勢いで発達し工場の規模は驚くほど大きくなった。また、農業でも、西洋の農事が輸入され、農学が発達し化学的技術が普及して一反当たりの収量は相当多くなった。米は明治初年に一反当たり一石であったものが、昭和には平均二石と倍増した。しかし、それは品種の改良と肥料の施し方を中心とし、むちゃくちゃに人手をかけることによって生産が高められたもので資本醸成をもって生産力が高められたものではなかった。立派な機械農具を縦横に使っているアメリカでは農業人口一人当たりで34.5人分もの食料を生産しているのに、日本では農民一人当たりでわずかに1.9人分の食料しか生産することができていなかったのである。

日本の農業は昭和に入っても、何故相変わらず手で使う鋤や鍬を主体とし、牛馬を使うくらいがせいぜいで、経営の規模も大きくならず、農耕作業の機械化も行われず、昔のままの小農経営が続けられてきたのであるか。その中で、根本をなすと考えられるのは、農業経営の基本である土地制度が不合理であったということである。そもそも土地の利用配分および所有関係が合理的であったかどうかということが農業の発展には重大な関係があるが、それは土地所有制度によって強く左右されるものである。

わが国の農業にはいまだ合理的な近代的土地所有制度が確立していないので、それが農業の資本主義的発展の大きな障害となっていた。明治維新以降、農業だけは近代化が半封建的な地代のために阻まれて立ち遅れ、農業のやり方や農村の中には半ば封建的な時代遅れの制度がなお多く残っていたのである。わが国におよそ570万戸の農家があるが、その7割強は小作農家、自作兼小作農家であった。そしてその小作地はわが国の耕地面積600万町歩のおよそ半分に達していたのである。小作地の借賃(小作料)は現物で納めるのが通例で、その額は収穫量の半分という高いものであった。地主と小作人との関係は封建時代の領主と農民の関係に似て、小作人は地主に頭が上がらず、小作料はこれを「年貢」とか「上納」などと言って、昔領主に納めいたときと同じ名前で納めていた。そのため農民は地主の恩情にすがり卑屈とならざるを得なかった。これでは農民は独立の経営者となって、土地を買い入れたり、農業用の機械器具や役畜を取り入れ、農業の改善(農業の資本主義化)を図ることは難しかった。

これは自作農にも当てはまり、自分で経営するよりも、農地を細かく分割してたくさんの小作人に小作させた方が割がよいから、地主になろうとしてしまっていた。小作料が法外に高いので、地価がたいへん高く、せっかく自作農になっても、土地を買い入れた代価は小作料の何十年分を前借したものと同じになって、それは高い小作料が前払いとして一度に支出したものを毎年取り戻すに過ぎないのであった。だから一度凶作や恐慌に見舞われるとたちまち小作農に転落してしまうのであった。

また、わが国農家の一戸あたりの平均経営面積は1町歩そこそこでアメリカの400町歩、ソビエトの集団農場の1000町歩、カナダの56町歩に比べ、驚くほどに小さかった。このように経営規模が小さく、1枚1枚の田畑の面積が極めて小さく、しかも分散している原因も、時代遅れの土地制度(半封建的な高い小作料)が農業を支配して、耕地の集団化や経営規模が大きくなることを阻んできたのであった。

農業の発達を図るとともに農村の民主化を促すためには、何よりもまずこの時代遅れの土地制度を根本的に改革することを行わなければならなかった。そこで、昭和20年11月9日、マッカーサー司令部は、「農地改革についての覚書」を発表し、政府に対し農地改革を実施するように指令した。それは「日本の農業が近代的な農業に発展することを妨げてきた封建的な小作制度をなくし、小作人を開放してこれに土地を与え、平等の権利と労働に対する正当な報酬を得させ、農業の発達および生活の向上を図るようにせよ」ということであった。


ネッツトヨタ三重株式会社 農業BR事業への協力


楷(かいじゅ)の会」活動の一環である「松阪市後援農業塾」は、11年を経過しました。その学習成果の蓄積をもとに、ネッツトヨタ三重株式会社の農業BR事業に協力することになりました。農業BR事業は当該会社の新しい顧客満足度の向上を目指した取り組みのことです。

 今回は、とりあえず無農薬栽培を目標に、サツマイモの栽培をすることになりました。6月15日(木)に畦づくり、6月17日(土)に苗の定植をしました。社長を含め6名の社員が一生懸命作業をされ、紅あずま200本、安納芋100本の苗を植えることができました。今後、追肥、中耕、除草という管理作業を経て、10月には美味しいサツマイモの収穫となると思います。


東畑記念館の改修工事の安全祈願祭


 「楷(かいじゅ)の会」の念願であった東畑記念館の改修工事が7月12日(水)から行われることになりました。

それに係る工事の安全祈願祭を6月30日(金)に香良洲神社で行っていただきました。

「楷(かいじゅ)の会」は建築主として2名(会長、副会長)が参加しました。設計・監理として株式会社東畑建築事務所2名(中村様、赤松様)、施工として不二建設株式会社2名(田渕様、奥村様)、来賓として三重県農業研究所2名(所長、副所長)にも参列していただきました。香良洲神社の小林宮司のお祓いのもと、祭典は滞りなく行われました。

東畑記念館の改修の完成は10月末ということです。


「楷(かいじゅ)の会」会報第15号

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