「楷(かいじゅ)の会」の発足について

 このたび、東畑精一顕彰会は、「楷(かいじゅ)の会」として発足することとなりました。

 楷(かいじゅ)とは、「カイノキ」とも言われ、ウルシ科の落葉高木で、中国の孔子との関わりが深く「学問の聖木」とされています。

中国原産であるカイノキは、直角に枝分かれすること、小葉が整然と端正に揃い、きちんと整っていることから、書道の楷書の「楷」にちなんで「楷、カイノキ、カイジュ」と名付けられたそうです。

 カイノキは、もともと中国山東省にある孔子の墓所(孔林)に植えられていたことにあります。

孔子は、世界の四大聖人(釈迦、キリスト、孔子、マホメット)の一人とされており、孔子の思想である論語には、多くの有名な言葉が現代に残され、今なお多くの人々に感銘を与えています。

その有名な言葉のひとつには、孔子の人生を表したとされる、「我、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従い矩(のり)をこえず」という名文があります。

また、孔子は学問に関する多くの言葉を残しており、「子曰(いわ)く、学びて時に之(これ)を習ふ。亦(また)説(よろこば)しからずや。」も有名な言葉の一節です。

このようなことから、孔子と縁が深く、楷書のような風貌のこの木は、中国で「学問の聖木」とされました。

 そのような学問的由来を持つカイノキの日本への伝来は、1915年、当時の東京大学の園芸学教授が孔林で採取した数十個のカイノキの種子を日本に持ち帰ったことに始まっています。

そのカイノキの種子を苦心の末、発芽させ、その苗を当時の東京都林業試験場(現:林試の森公園)に植えたのが最初とのことです。

それと同じ苗が孔子にゆかりのある地(東京都:湯島聖堂)や学校(岡山県:閑谷学校、栃木県:足利学校)など、学問に関係する各地に配られ、それと同時に当時、東京大学教授であった東畑精一博士にも贈られ、博士の自宅(東京都中野)庭にも植えられました。

 その後、およそ100年の時が流れ、カイノキは日本でも大学や学校の校庭に学問の木として植えられています。

しかし、カイノキは種子の発芽率が低く、挿し木も容易でないことから繁殖が難しく、日本国内でもいまだにごく少数で国内でも数えられる程度の珍木です。

 これらのことが東畑精一博士の随筆である、「一巻の人」(東畑精一著)の中の一節、「楷(かいじゅ)物語」に詳細に記されています。

東畑精一博士は、日本では珍木であり、孔子ゆかりの学問の聖木とされる楷(かいじゅ)を自宅の庭でたいそう大切に育てていたことから、その遺徳を偲び、東畑精一顕彰会である本会を「楷(かいじゅ)の会」とすることとしました。

 なお、二月二日は、東畑精一博士の生誕の日であります。

                令和二年二月二日

       東畑精一顕彰会「楷(かいじゅ)の会」
                会長 森川 茂幸