「楷(かいじゅ)の会」会報 第4号

会 報 第 4 号
令和2年11月2日


東畑精一博士の史料


 東畑精一博士は、わが国における農業経済学の形成・発展に大きな足跡を残した人物で、経済学・農業経済学関係の書物の所蔵家としても特に有名でした。

 彼は三重県豊地村(現在の松阪市嬉野井之上町)に生まれ、三重県第一中学校から第八高等学校を経て大正11年(1922)に東京帝国大学農学部を卒業しました。大正13年に東京帝国大学助教授、昭和8年(1933)に東京帝国大学教授となり、農業経済学の体系化に努めました。その間アメリカドイツに留学し、シュムペーター(経済学者)に師事し近代経済学の学問的方法を学びました。

 昭和11年に博士論文「日本農業の展開過程」(東洋出版社〈『基礎経済学全集』八〉、増訂版は同年岩波書店)を著し、農業と経済を結び付け農業の動態的変化を経済変動として分析しました。この書は現在でも不朽の名作として夙に有名であります。昭和39年に学士院会員となり、昭和55年に文化勲章を受章しています。

 また、学問的業績と人柄から政界・財界とのつながりも多く、戦後の農政や農業団体に関するたくさんの公務や要職(農業基本問題調査会長、農政審議会長等)に就きました。このことに関する史料として、東畑博士が自ら記した『私の履歴書』(日本経済新聞社、昭和54年)、浦城晋一先生(三重大学名誉教授)の書いた『東畑精一先生を想う』(伊勢新聞、昭和58年)および神谷慶次編『思い出の東畑精一先生』(農村更生協会、昭和61年)があります。

 幅広い活動や研究を物語っている研究資料等、関係史料は東畑博士本人および遺族の遺志により、農林水産省農業総合研究所(和洋書、5,000余冊)、東京農業大学(約650冊)、鯉渕学園(約940冊)および出身地の三重県(約10,000冊)に寄贈されています。Photo_20211213211801

 蔵書その他研究資料の学問的・研究的価値に鑑み、農林水産省農業総合研究所では「東畑文庫」として、また三重県では三重県立図書館に「東畑精一関係資料」として別置され、目録が作成されており、多くの人たちが利用しやすい状況にすべく整理・保管されています。特に、農林水産省農業総合研修所では、経済学、経済問題や農業経済学、農政学に関する洋書、三重県立図書館では、東畑博士の恩師シュムペーターに関する資料(手書き原稿等)や東畑博士の活躍した分野における書籍・資料等に史料の特徴があります。

 なお、東畑博士自身の学問・書物糖に対する想いを述べたものとして、自ら記した『書物と人物』(新評論社、昭和29年)、『一巻の人』(私本、昭和35年)、『農書に歴史あり』(家の光協会、昭和48年)、「一農政学徒の記録」(酣灯社、昭和22年)があり、書物との出会い・思い出が窺えます。(『近現代日本人物史料情報辞典2』(吉川弘文館、2005年発行)の「東畑精一(森川茂幸執筆)」より抜粋)


農業塾第8期の修了と修了記念研修旅行


 令和2年8月8日(土)で農業塾第8期(令和元年9月~令和2年8月)の11回の講座(新型コロナウイルス感染予防のため5月の講座は中止しました。)を終えました。8月8日には第8期修了証授与式(修了証書の授与対象者は10名)を行い、その後、「修了記念(研修)旅行」(7名参加)を行いました。今年度の修了記念研修は農業塾で学習したことをさらに発展させるとともに、農業塾を母体にした東畑精一顕彰会「楷の会」に関わるゆかりの場所や人物を対象にし、研修先は「東畑精一博士の生家」、「矢土錦山文庫」、「前山の大楠」としました。

2020080816_20211213212401  東畑精一博士の生家は、現在、中川電化産業(株)が所有しています。東畑博士が生まれ育った家を外見そのままに保存されていました。内部はそのままの間取りが維持されていましたが、調度、家具類は新しく配置され、現代的にその座敷に合うようにいっそう豪華に設営されていました。さらに、中川電化産業(株)創業者のお孫さんである中川寛嗣様(中川電化産業(株)執行役員)がお見えになり丁寧な案内をしていただきました。

 昼食は、松阪森林公園「薬膳料理 花おこし」でした。予約していた薬膳料理の「松花堂」を食することができました。20200808126_20211213212401

 矢土錦山は明治・大正期の漢詩人であり、初代総理大臣の伊藤博文の秘書官として活躍した人物です。錦山のお孫さんである矢土勝之様のご協力で、「錦山文庫」に所蔵されている貴重な遺墨や遺品、錦山の交友に関する古筆や名筆、文書等を拝見することができました。

 多気町前村の御神木として祀られている大楠の見学もしました。この大楠は胴回り8m弱のクスノキで樹齢600年以上といわれています。大楠神社という小さな祠も建てられており、地域の神様として崇められていました。そのすぐ傍にはカゴノキの古木もあり、ちょっとした歴史のある風情を見せていました。(森川、藤田)


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