「楷(かいじゅ)の会」会報第17号

会報 第 17 号
令和6年2月2日


浦城晋一先生  ~東畑博士の最後の弟子・学者~


 令和5年4月8日、浦城晋一先生(以下先生という。)が92歳の天寿を全うされました。先生は、父親(秀太郎)が東畑精一博士と従弟同士であることでもあり、大学と大学院で東畑精一博士に師事し、「東畑精一博士の中部圏最後の弟子」として三重大学で農業経済学分野において教育研究にご尽力され、大きな成果を上げられました。また、東畑博士が三重県に寄贈した「東畑記念館」の資料整理・分析にも大いに努力されました。ここでは、東畑博士の弟子として活躍した浦城晋一先生を少し紹介し、ご冥福を祈りたいと思います。このことあたっては、先生が著した私家本「我が家の四百年」(2017年発行)を大いに参考させていただきました。

 先生は、一志郡高岡村高野(現津市一志町高野)の出身で、父秀太郎、母康子の長男として、昭和6年2月27日に生まれました。当時、先生の父は浦城医院(内科、小児科)を開業していましたが、先生が小学校に入学したときは、先生の父親は兵隊に応召され、浦城家は母親、先生、妹の恭子の3人での苦しい生活だったらしいです。父親が除隊となって(昭和15年)帰ってきたら、間もなく母親は病気のため亡くなりました(昭和16年)。先生の小学時代は、病弱であり、ただおとなしいだけで、運動神経はまるっきりなく、みんなのやることをただ見ているだけの児童でした。昭和17年に新しい母親(露子)が浦城家の一員となり、新しい母親の勉強に対する厳しさのおかげで、先生は津中学(現津高校)に入学しました(昭和18年)。中学生になっても先生の病弱性は変わらず、運動神経の進化はありませんでした。当時、中学校の先生たちの体罰は当たり前で、生徒間ではイジメ、リンチなどが横行し、先生はそのターゲットに時々なったということです。先生の成績は劣等性が増していったということです。

 昭和19年11月、妹の義子(現日高クリニック院長)が生まれました。昭和20年になり、父親の秀太郎が肺結核で亡くなるという不運に見舞われました。昭和21年に先生は津中学3年生に復学し、中学4年生になると、インフレーションの時代で、父親の残した資産や預金はほとんどなくなり、以後窮乏に堪える生活となっていました。昭和23年になると学制が変わり、津高校2年生ということになり、このころから先生は、心機一転して勉学に打ち込むようになったということです。あまりお金の余裕がない生徒にとって大学進学となると、当時では三重大学の農学部しかありませんでした。先生は、三重大学で学んでいたときに、東大の農業経済学科で欠員募集していることを知りました。東大農学部には東畑精一博士がいることを知っていたので、東大農学部農業経済学科に転入することにしました(昭和26年)。当然ながら、東畑博士の専攻生になることを希望したそうです。東大卒業時には、国家公務員の上級試験には合格していましたが採用にはならず、先生は大学院(社会科学研究科農業経済課程)に進みました。大学院の修了後の就職先として、三重県庁に行きたいことを東畑博士に陳情し、博士の紹介で三重県庁に農地農村部農政課の非正規職員として採用されました。

 昭和32年になって、三重大学農学部から要請があり、農政学講座(松田延一教授)の助手として勤めることになりました。昭和41年4月から昭和43年まで農政学講座の講師を務め、博士論文「真珠の経済的研究」を東大に提出し、学位が認められると同時に、先生は農政学講座の助教授になりました(昭和43年10月)。助教授時代にはたくさんの研究成果を上げ、昭和54年3月、農政学講座の教授になりました。そして先生は、中部圏に存在する東畑精一博士の弟子(学者)として認められるほどになりました。昭和58年5月6日東畑精一博士が逝去されたときは、東畑博士を追悼する意味で、先生は伊勢新聞に「東畑精一先生を想う」を伊勢新聞に連載しました。

先生の教授時代の社会活動としては、三重県社会経済研究センターだけで、もっぱら学識者として活躍されました。三重県中央卸売市場開設協議会長、三重県農業振興対策審議会長など、三重県の農業・経済の分野で、多くの重要な役割を務めました。また、東畑記念館の蔵書整理にもあたりました。また、教授時代には、「宮川用水投資の効果」や「三重の和牛」、「悲しい米豊かな米」など多くの研究論文や農業経済関係の著作を残されました。

平成6年3月三重大学を定年退職し、その後は、鈴鹿医療科学技術大学の教授(3年間)、漁業経済学会代表理事や日本農学会評議員を務められていました。


ネッツトヨタ三重(株)「チューリップクラブ」のサツマイモ収穫


 ネッツトヨタ三重(株)農業事業の一環として「チューリップクラブ」が11月4日(土)にサツマイモの収穫をしました(「楷(かいじゅ)の会」の事務局も参加しました)。チューリップクラブは、ネッツトヨタ三重(株)の小学生を対象にした顧客家族の仲間の会です。今回はその家族の中で20組(約80名)が参加して、午前10時頃からサツマイモの収穫を楽しみました。場所は、津市白山町の栽培畑でした。

 収穫後は、大きな釜で炊いた、そこで収穫したサツマイモのイモご飯を味わいながら昼休み休憩となりました。また、希望する家族にはイモ焼き釜でサツマイモを焼くというサービスもありました。

 午後は、SDGsプロジェクトとして「おイモのつるでリースをつくろう」ということで、イモ蔓を用いてリースの輪づくりをしました。リースの輪は、飾りつけやクリスマスリースに変身させるということでした。

 今回の事業は、ネッツトヨタ三重(株)としては、初めての事業でしたが、天候にも恵まれ、参加者の笑顔と、当該会社の社長や農業事業担当者の皆様の努力と情熱で、たいへん大きな成果を上げることができたように感じました。


「楷(かいじゅ)の会」会報第17号
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