「楷(かいじゅ)の会」会報第18号

会報 第 18 号
令和6年5月2日


新渡戸稲造と「農業本論」(その1)


 新渡戸稲造は「農業本論」(1898年)の序に「農業に志したのは、明治9年14歳の春である。その時、東京英語学校で学んでいた。今上天皇が東北巡行されたとき、南部藩の三本木に来られ、伯兄の家を行在所にされた。祖父の跡を継いで疎水開拓に尽力し開墾を行ったことを賞してもらった。その言葉に感激し、私も皆の役に立とうと思った。兄は津田仙君の創立した学農舎で農学を学ぶことになった。私も農学に身を任せようと思い、札幌に高等農学校が設立されたので入学しようと東京英語学校を去った。」と述べている。

 この「農業本論」は、まだ経済学、技術論、社会学的認識の分化していない時代の農業、農民、農村論で、東畑精一博士は、1917年12月27日、京都の丸善書店で買ったと言っている((高校2年のとき)。そして、東畑博士はこの本を、「当時としてはもっともよくこなされた最初の日本文の農村社会科学書であり、ベストセラーになった本である。」また、「読者は、専門領域のものだけでなく、一般世人の間にも広がり、新渡戸博士はこの本をして単なる農学者を超えた学者として一挙に世間に印象づけた。」と記している。

 新渡戸稲造は、1862年(文久2年)9月1日、旧南部藩士御勘定奉行十次郎の三男として生まれた。14歳で東京英語学校に入ったが、16歳(1877年)の時、農業を学ぼうと札幌農学校の二期生として入学し、クラーク博士に学んだ。札幌農学校卒業(1884年:明治14年)後上京し、東京帝国大学で美文学、理財学、統計学を学んでいたが退学し、アメリカのジョン・ホスピンス大学のアダムス教授の下で、歴史、文学、経済学を学んだ。1887年に札幌農学校の助教授になり、ドイツへの留学する機会を得た。ドイツではボン大学、ベルリン大学、ハレ大学(ここで農業経済学の学位を取得した)などで、農政、植民、経済などを学んだ。留学を終えて(1891年)、札幌農学校の教授になったが、1901年には台湾総督府に技師(殖産課長と糖務課長の兼務となり、台湾の根本的経済政策の樹立に参画した。1903年から京都帝国大学教授(法学博士の学位の取得)、東京帝国大学教授を務め、1906年から8年間は第一高等学校の校長として多くの人材を育てた。1920年(大正9年)から26年まで国際連盟事務局次長としてジュネーブに滞在し、帰国後は太平洋問題調査会の理事長として国際活動をつづけた。1933年(昭和8年)、太平洋問題調査会のカナダ会議に参加したが、その最中にカナダのビクトリアで客死したのであった(71歳)。その他の活動として、札幌時代に夜学校の経営、後の日本女子大学の校長、各種文化的協会などへの参加、文筆や講演など国際社会やデモクラシーのための教育に全力を発揮した。


東畑記念館 改修工事 落成式


 東畑精一博士は、農業経済学を体系化した学者(東大教授)というだけでなく、戦中から戦後にかけての食料難の解決、農地改革による自作農創出、農業の近代化へ向けての農業基本法の制定等に大変活躍した人物でした。その彼が、生家を売却したお金を使って、農業研究所内に建てた農業関係研修資料館が「東畑記念館」です。建設から50年が経ち、老朽化が進み、現在は全く利用されていませんでした。

そのような中、(株)東畑建築事務所が改修を主導し、東畑精一顕彰会「楷(かいじゅ)の会」が施主となり、(公)岡田文化財団、(株)清林社、不二建設(株)からの出資も受けることができました。建設当時の東畑謙三先生の設計を重視して改修工事がなされ、令和5年10月に完成しました。その落成式を令和6年2月2日(金)に行いました。

 落成式には、三重県から廣田恵子副知事、青木謙順県議、野口正県議、松阪市から竹上真人市長等にご臨席を賜りました(出席者50名)。まず、廣田副知事から謝辞と三重県知事の感謝状、竹上市長からは「郷土の偉人として伝えていく基地ができたと」とのご祝辞をいただきました。その後、出資やご援助いただいた(公)岡田文化財団、(株)東畑建築事務所、(株)清林社、不二建設(株)、中川電化産業(株)の5社には、我々「楷(かいじゅ)の会」から感謝状を贈呈させていただきました。そして、落成式の最後を飾る行事として、青木県議、野口県議のご発声の下、改修工事協力5社で記念の「くす玉割り」で第1部の式を締めくくることができました。

 第2部では記念セレモニーとして、「記念のダルマ作り」、「記念植樹」、「記念撮影」、「記念のお茶会」を行いました。「記念ダルマ作り」は改修工事協力5社が挨拶と署名をし、「記念植樹」は(公)岡田文化財団様から寄贈していただいたサクラ(八重紅しだれ桜)の幼木をご来賓の皆様全員で庭園に植樹しました。また庭園で「記念撮影」を行いました。「記念のお茶会」は煎茶道の黄檗皎上月流(岡田皎上月家元)によって野点をやっていただくことができ、ご来賓の皆様にお茶を嗜んでいただきました。


「楷(かいじゅ)の会」会報第18号
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