第8期・研修旅行:東畑精一博士の生家、矢土錦山の邸宅、掃除道具入れとなった巨木銘木
修了証書授与式の終了後、ベルファームバスで日本の農業経済学の第一人者である東畑精一博士の生家へと向かいました。
きょうは三重県内での新型コロナウイルス感染症の拡大の影響もあるのか、農業塾の参加者は少なめでしたが、松阪市立嬉野中学校の校長先生、豊地公民館の職員の方々なども一緒にご参加がありました。
現在、東畑精一博士の生家は、中川電化産業株式会社様が所有、管理されており我々の研修のために社長様はじめ社員様も快くご協力いただき、いろいろとお世話になりましたこと、本当にありがとうございました。
東畑精一博士は、1899年(明治32年)、今の三重県松阪市嬉野町に生まれ、東京大学教授をはじめ、国政の要職を歴任し、戦後の日本農業の発展に貢献した偉大な農業経済学者です。
東畑精一博士の生家は今は誰も住んでいないのですが、中川電化株式会社様によって丁寧な管理がなされていました。
ただただ素晴らしいの一言に尽きるのですが、しばらく呆然と見入ってしまうほどのスケールの大きさでした。
外観は普通の民家に見えなくはないのですが、内部は迎賓館のような造りとなっていました。
玄関を入ると象の巨大な置物が置いてあり、かなりのインパクトがありました。
本日、午後から研修に向かう矢土錦山の直筆の書と思われます。
迎賓館とも言うべきお部屋がありました。
国内外の賓客をおもてなしするお部屋のようでした。
この辺からお部屋がありすぎて、わけがわからなくなっていますが、すべて別のお部屋です。
いったい、いくつお部屋があるのか、畳400畳以上になるそうです。
台所ですが、仕出し屋さんか、給食センターのような広さでした。
本当に何もかも驚きしかありませんでしたが、これが東畑精一博士の偉大さを物語る一端だと思いました。
この迎賓館のようなお屋敷でどのような方をお迎えになっていたのか、興味が湧くところです。
中川電化産業株式会社の皆様、大変貴重なものを見学させていただき、本当にありがとうございました。
このあと、お昼は松阪市森林公園で薬膳料理をいただきました。
このランチにデザート、飲み物付きで大変満足いたしました。
昼からの研修先は「矢土錦山の邸宅」で、東畑精一博士の血筋となる祖母(やす)の生家となります。
ここの庭園も素晴らしく、保管されている錦山の数々の国宝級の文化財の見学を行いました。
ご家族様のご要望で、非公開ということで、掲載することはできませんが、それほど素晴らしいものであるということです。
矢土勝之様、大変貴重な資料を拝見させていただき、本当にありがとうございました。
最後の研修先は「掃除道具入れとなった巨木銘木」でした。
以前から農業塾では樹木の見学を行っておりますが、その一環として選定していたものです。
木は、樹齢が高齢となり年輪が増して樹体が大きくなると中心部が空洞となります。
その空洞となった部分に地域の掃除道具が納められています。
今回の研修旅行はいかがだったでしょうか。
研修に行かれた方は、感想を原稿用紙2枚にまとめてご提出ください。
また、農業塾への要望など、研修に関係のない内容でも結構です。
研修に行かれなかった方も、内容は自由としますので、9月にご提出をお願いいたします。
今後の農業塾運営の参考といたします。
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